【新宿区】今も昔も憩いの場『新宿歴史博物館』

○概要
地域の生活文化は、風土と人間との深いかかわりの中で育まれ、独自の歴史を作り上げてきました。武蔵野の一原野から、今日の新しい都心へと変容した新宿にも、その風土に根ざした人間の営みが刻み込まれています。
新宿歴史博物館は、これら「まちの記憶」をおおくの方々と共有し、未来へと継承していくため、資料の収集保存、調査研究、展示公開をする施設として、平成元年(1989)1月に設立されました。

どこの地域にも歴史というものはあるものですが、東京で一番賑わいがある町(特に歌舞伎町)?、新宿もその例外ではありません。今回はその新宿区の歴史のフォーカスした博物館へ行ってきました。
○基本情報
・入場料金
一般:300円 小・中学生:100円
団体20名以上の場合は、一般:150円 小・中学生:50円
・営業時間
9:30~17:30(入館は17:00まで)
・休館日
第2・4月曜日(休日の場合はその翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
資料整理期間等、博物館が指定する日
・アクセス
〒160-0008
東京都新宿区四谷三栄町12-16
(都営地下鉄新宿線 曙橋駅 徒歩8分、東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅 徒歩8分)
○新宿の古代から近世まで

新宿歴史博物館は大きく6つのエリアに分かれています。まず入ると新宿区内で発掘された土偶・土器等の展示がされています。また中世の文献等が展示されていますが、ここのエリアは小さく、江戸時代からが当博物館のメインとなっています。
江戸時代のエリアは宿場町である内藤新宿、武家屋敷や近郊農村、文化についての展示を行っています。
その中の一つとして江戸時代のメジャーな建物についての展示があります。
江戸時代では火事が多かったことから防火建築の「蔵造り」が発達しました(上の画像は蔵造の中の様子)。壁に土や漆喰を埋めることで壁を厚くして、火事が発生した際には職人が土戸を閉じて隙間を壁土で埋めることで防いでいたようです。
ちなみに江戸時代には267年の間に1800回ほどの火事が起こっていたんだとか・・・。年に8回の計算だから少ない気もしますが、この時は木造建築ばかりだったこと、ガスが普及している訳ではないことを考えると結構多いのかもしれません。
蔵造は明治以降も更に普及し、蔵造の家が立ち並びました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災の際に蔵造の建物は被害が多く、それ以降は火事にも地震にも強い鉄筋コンクリートの家が立ち並ぶようになったそうです。

上の画像は内藤新宿[1]江戸時代に設けられた宿場の一つ。宿場とは旅行者が宿泊・休憩する場所。の模型です。内藤新宿は日本橋から高井戸宿の間の距離が約16㎞と長く不便だったため1698年(元禄11年)に開設されました。180年かけて宿場町として発展していきました。
このような宿場町は明治時代になると鉄道の発展と共に衰退していったそうです。
○更なる発展をする新宿区

明治時代になると新宿は更なる発展をします。娯楽が増え、生活様式も水準が向上(上の写真は昭和10年ころに流行した文化住宅の再現)していきます。更には新宿周辺に夏目漱石や小泉八雲などの小説家たちも住むようになり近代文学の発展も同時に行われていきます。
昭和初期になると新宿は三越新宿支店や伊勢丹などの大型デパートが集結します。デパート内には大衆向けの食堂があり家族連れなどたくさんの人で賑わっていたようです。
三越の食堂は7階にあったのですが、なんと富士山や伊豆半島の街並みまで見えたのだとか。伊勢丹内にはスケートリンクがあるなど、デパート激戦区だった新宿だからこそ其々に特徴が生まれていったようです。
其々の展示品には「常設展示解説シート」が置かれています。「昭和初期の新宿」のエリアには新宿のうまいものを紹介しているシートがあります。HPからも見れるのでチェックしてみてください。中にはまだ営業しているお店もあるようなのでシートを見ながら食べ歩きするのもいいかもしれません。
ちなみにシート内に書いてあるお店で今も残っているのが下記のお店だけみたいです。興味があったら是非!
○さいごに
今回、行った博物館は地域の歴史・文化を紹介する展示でした。他の東京23区にも豊島区などはこのような地域の文化・歴史を紹介する資料館があり、23区以外の市町村でもこのような博物館が多くあります。
まだ自分の住んでいる地域や住んでいた地域の資料館には行っていないので後日行こうかと思います!
○公式HP
○脚注
↑1 | 江戸時代に設けられた宿場の一つ。宿場とは旅行者が宿泊・休憩する場所。 |
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