【大宮区】意外と知らない埼玉の歴史『埼玉県立 歴史と民俗の博物館』

○概要

当館は昭和46年(1971年)の開館以来、埼玉県の歴史や文化を伝える資料を収集し、県民共有の大切な財産として次世代に継承するため、その保存・管理・活用に努めてまいりました。

 

 今回、行ってきた博物館は埼玉県大宮市にある。『埼玉県立 歴史と民俗の博物館』です。大宮で有名な博物館といえば『鉄道博物館』ですが、こちらも面白いので是非。

 

○基本情報

・入館料

 常設展・・・一般:300円 高校生・学生:150円

 企画展・・・一般:400円 高校生・学生:200円

 特別展・・・一般:600円 高校生・学生:300円

・休館日

 月曜日(祝日・振替休日は開館)

 年末年始(12月29日~1月1日)

・開館時間

 9:00~16:30(入場は16:00まで)

・アクセス

 〒330-0803

 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4丁目219番地

 (東武アーバンパークライン『大宮公園駅』から徒歩5分)

  

    

○埼玉県の狩りから稲作

 当博物館では埼玉県の歴史を旧石器時代から現代まで、そして、埼玉県の文化を紹介している博物館です。

 

 順路に沿って進むと初めに目に入るのが頭蓋骨の模型です。日本列島にいつヒトが住み着いたのか。今でも研究が行われているようです。 

 

 旧石器時代から縄文時代までは狩猟で生計を立て、移住しながら生活をしていくのがメインでした。そこから、大陸から九州地方へ稲作文化が伝来し、計画的に食料の生産をするようになっていきます。弥生時代の始まりです。

 

 稲作が始まると人口が増加し、数多くのムラが生まれ争いも起こるようになります。ムラは統合されていき、そこから小首長が誕生しました。

 当博物館の場所は弥生時代の大宮公園内遺跡にあり、前庭に復元された竪穴住居と方形周溝墓が保存されています。この墓も集団を率いた小首長の墓だったと考えられています。

 

  順路を進むと可愛らしい土偶が展示されていました。縄文時代の人々は儀式として様々な土偶を作っていたようです。そして、オシャレにも気を遣っていたようで翡翠ひすいの垂飾や石製の耳飾りなど色々なアクセサリーの出土がされています。

 

 先述した小首長の墓からも様々な土器が出土されています。出土された土器は故意に底を無くし実用性がないような作りになっています。日常で使えないようにすることで死後の世界で用いるようにしたという儀式的な意味があったのではないかと考えられています。

  

◯埼玉にも勢力が広がる大和政権

 古墳時代になると畿内で大和政権が誕生します。九州や東北にも勢力を広げていたのは有名な話ですが関東地方も例外ではありません。

 

 埼玉県にも大和政権の勢力が及んでいた資料が数多く展示されています。その中でも、有名なのが行田市の埼玉古墳群の稲荷山古墳から発掘された金錯銘鉄剣きんさくめいてっけんです。鉄剣には115文字の文が刻まれており古代の国家成り立ちを伝える貴重な資料として国宝に指定されています。

  

 上記の古墳は西暦471年に作られたと考えられています。鉄剣の裏面には「獲加多支鹵ワカタケル大王」と書かれています。獲加多支鹵大王は雄略天皇説は教科書でも読んだことがある人もいるのでは?

 

 また、鉄剣には「杖刀人じょうとうにん」との記載もあり、持ち主は大和政権に仕えた有力豪族だったのではないかと考えられています。

 

◯武士の時代到来!

 時代は貴族中心の時代から武士の時代へ移り変わります。上の画像は川越城。武蔵国でも最重要だった城と言われています。

 

 室町時代には埼玉県内に後北条氏、武田氏、上杉氏が有力武士として台頭しました。

 武士の時代に活躍したのは戦国武将だけではありません。戦国時代で最前線で戦う「足軽」もこの時代に活躍をしました。

 

 この足軽たちは普段は農民として働いています。武将たちと主従関係は無く、戦いがあるたびに雇われて戦場に赴くのです。

 

 戦いがある際には雇い主から装備を借りて戦いに出たようです。今の時代で言うアルバイトみたいなものでしょうか。命懸けなのであまりやりたいとは思いませんが、この時代は家族を養うためにも必要だったのかもしれないですね。

  

  鎌倉時代の中期から板碑いたび(板石塔婆)と呼ばれる物が日本全国に姿を現します。

 

 板碑は死者の菩薩を弔う役割だけで無く自身の死後の供養を生前に行うための目的にも造られました。埼玉県はこの板碑の数が全国一位と言われ県内に約27,000基が確認されているそうです。

 

 埼玉県には日本最大・最小・最古の板碑も見つかっています。庶民の民間信仰が根ざした室町時代から関東地方を中心に建てられていきますが、江戸時代になるとほとんど造られなくなったんだとか。

 死が身近にあった時代だったからこそたくさん建てられたのでしょうか。

 

◯近代化の波が埼玉にも

 富国強兵・殖産興業をスローガンに日本は急速な近代化を実現していきます。それは埼玉県も同じです。新政府が誕生し廃藩置県が実施され、ここで初めて埼玉の名前を冠することとなります。

 

 廃藩置県が行われた頃の埼玉県は埼玉と入間の2県に分かれていました。更に熊谷県も設置されたようなのですが、それは廃止され1876年に現在の埼玉県の形となります。

 

 時代は混迷の昭和時代に突入します。総力戦の戦争が始まり、人々の生活は統制されていきます。

 

 上の写真は昭和の悲劇とも言える満州開拓移民の資料です。貧困に苦しむ農村の人々が数多く満州国へ移民として移り住みました。満州では抗日ゲリラや敗戦後のソ連の進行などでかなり苦しめられたと言うのは忘れてはいけません。

 

◯さいごに

 埼玉県についての歴史はあまり知りませんでしたが、新たな知識が手に入りかなり満足です。当博物館は大宮公園内にあるので帰りは公園内を散歩しました。

 

 

 

  

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